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「軍艦島 ~未来を夢見た島~」 その7(最終回)

こんにちは
今回は軍艦島シリーズの続きになります。
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1970年代以降のエネルギー政策の影響(石炭から石油への移行)を受けて日本国内にある炭鉱が次々と閉山していきます。この島にもその時は、突然に訪れました。
昭和43年10月、海上ボーリング調査の結果、石炭のある深度が予想以上に深いため、将来有望とされていた炭鉱が絶望的となります。それを期に、最盛期2000人を数えていた従業員も閉山時には816人となり、次々とこの島から住民が離れていくことになります。
この島の従業員の平均年齢は43歳、不況の中での再就職となり、前途は決して明るいものではありませんでした。
閉山式のあいさつで、三菱石炭鉱業株式会社社長 岩間正男氏はこう激励したそうです。
「離島という困難な立地条件を克服してきた精神を忘れずに頑張ってほしい」
そして、昭和49年、この島は閉山されます。
4088
閉山から35年、この島への上陸は禁止され当時の街並みもそのまま残されています。
こういった当時の街並みが残っている所は、日本で唯一ここだけです。
当時この島に住んでいた方は今でもご存命で、自分が利用した軍艦島上陸ツアーの案内役をされている方の中にも軍艦島に住んでいた方がおられました。
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平成20年、「軍艦島を世界遺産にする会」というNPO法人が設立され、世界遺産登録に向けた「暫定リスト入り」候補に決定するなど活動されていましたが、ここしばらくぷっつりと活動が止まってしまっています。
コンクリートの耐用年数は約50年。すでに居住区のアパートなどは崩壊が進み、いつ崩れてもおかしくない状態です
近い将来、崩れてしまうであろうこの軍艦島の姿を少しでも多く写真に残そうと思い、シャッターを切っておりました。

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この島について色々調べていて、一番印象に残っているのは「力強さ」です。
この島に実際上陸すると分かるんですが、この島の規模にとても圧倒されます。
戦時中でありながらも、これだけの規模の島に町を造り、この島の住民は力強く生活していました。
この力強さは、今の日本国民には残念ながらあまり感じることのできないものです。
当時も不況であった時代にあるにも関わらず、これだけのことをやってのける。今も不況と呼ばれる時代なのにこの時のような力強さは日本人に感じない。今と昔と一体何が違うのか。このシリーズを書きながらその答えを探してきましたが、結局答えを出すことが出来ませんでした。
しかし、今と昔と違えど同じ日本人です。ちょっとした何かのきっかけでこの当時のような日本人が持っていた力強さが戻ってくることを願わずにはいられません。

今回でこの軍艦島シリーズは最後になります。
最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました。
次回からは三重シリーズに本腰を入れていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

 
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  1. 2012/09/28(金) 00:00:33|
  2. 軍艦島(長崎)
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「軍艦島 ~未来を夢見た島~」 その6

こんにちは!
今回は軍艦島シリーズ 第7回目になります。
今回紹介するのは、軍艦島内での生活拠点でもあった「居住区」の紹介です。
余談ですが居住区での写真、午前中の撮影だったこともあり思いっきり逆光になってしまいました(汗)
空に雲が一つもなかったこともあり、ちょっと不思議な光景になってしまったかもしれません。
ただ、これはこれで個人的には気に入っております。
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1960年代、島民5267人を数え、人口密度は世界一、当時の東京特定区の9倍以上にも達したそうです。
居住区内の建物は、木造だった建物以外は今でもそのままの形で残っています。
しかし、コンクリートの耐用年数は、大体50年前後。いつ崩れてしまってもおかしくない状態です。
そのため、この居住区エリアへは一般の民間人は立ち入ることが出来ず、自分のように海上からしかその様子を見ることが出来ません。
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当時、この島での生活水準は日本で一番高かったかもしれません。
なぜなら、高級品とされていたテレビ、洗濯機、冷蔵庫などの生活用品はほぼすべての部屋に備わっていたと言われてます。そして、高層アパートの中には売店や保育園、警察派出所、郵便局、パチンコ屋、病院、寺院、映画館、理髪店、美容院、雀荘などもあり、まさに当時の人が夢見た「未来都市」でした。
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当時、この島には緑が全くありませんでした。そのため「緑なき島」などといわれていたそうですが、この軍艦島の屋上には日本で初となる人口の庭園も造られていました。軍艦島にある建物の屋上は、ここに住んでる人たちにとって唯一開放感のある場所でした。それと同時に、住民たちの溜まり場でもあり、コミュニティーの場でもあったそうです。
4056.jpg
その一つがここ、端島神社です。
台風によって飛ばされることもなく、今でもこの姿を見る事が出来ます。
この神社は、当時の若いカップルにとってデートコースだったそうです。
ただ、場所が場所なので、デートなんかしてるとすぐにバレて住民たちに広まったそうです(笑)
そしてこの神社では、年に一度お祭りなんかもあったそうです。
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上の写真、防波堤が結構高いのが分かると思います。
しかし、台風などの時はこの防波堤を波が軽々と越え、建物が海水による被害がよく出ていたそうです。
子供たちが、共同浴場などに行く時、よく波がかかってベトベトになるため、よく傘を持参していた、なんて記録も残っています。
4050
この島には、何でもそろっており不便が無いように見えますが、一つだけなかったものがあります。
それは消防所です。そのため、火の類の扱いには相当気を配っていたようです。こんな場所で大火事になったら、逃げ場がありませんからね。しかし、それでも年に何回かは火事が発生していたそうです。
 

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2012/09/12(水) 00:00:52|
  2. 軍艦島(長崎)
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「軍艦島 ~未来を夢見た島~」 その5

こんにちは!
今回は、長崎の軍艦島シリーズの続きになります。
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今回は軍艦島に上陸し、内部からの風景を紹介していこうと思います。
とはいえ、軍艦島内部では行動範囲が限りなく制限されており、個人的に見たいと思っている居住区などへは立ち入ることが禁止されております。なので、行ける範囲での撮影となりますが、それでも見どころは結構あるので、そういったところを紹介していこうと思います。
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住民がこの軍艦島を離れ、すでに半世紀以上が経過したこの島の建物は、台風などの影響もありほとんどが崩れてしまっております。コンクリートの耐用年数は大体50年くらいといわれています。なので、この島自体が大きく崩れてもおかしくない状態です。
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そんな状態なので、行ける範囲は限られておりますが、そんな範囲の中でも特徴ある現存する建物というのは幾つか存在します。その一つが上の写真。当時、炭鉱関連の事務所などが多くあった場所です。
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これは、鉱山の中枢にあったレンガ造りの建物で、総合事務所跡です。
事務所の中には、炭鉱マンのための共同浴場もあったそうです。
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写真の階段の付いている建物跡は、第二堅抗抗口桟橋跡です。
この軍艦島で唯一現存する堅抗へ降りる場所です。
ここから炭鉱マンは、地下660mまで下りていました。
ちなみに、一番深い炭鉱では地下1000mの場所もありました。
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炭鉱の仕事は、常に死と隣り合わせの仕事でもあり、落盤事故などで多くの人が亡くなったと言われています。
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軍艦島内部から見れる建物の中で、特徴がある建物がこちら、30号棟アパートです。
このアパートは、日本最古の7階建て鉄筋コンクリートの高層アパートです。
鉱員社宅として建設され、うち庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店もありました。
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この30号棟の左隣にある建物が31号棟で、こちらの地下には共同浴場があり、1階には郵便局、理髪店などがあったそうです。この30号棟、31号棟は軍艦島内部から唯一見ることのできる居住区でもあります。

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  1. 2012/08/24(金) 00:00:46|
  2. 軍艦島(長崎)
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「軍艦島 ~未来を夢見た島~」 その4

こんにちは!
今回は久々に軍艦島シリーズになります。
・・・とはいえ、前回記事にしたのは5月だったので、もうこのシリーズをやっていたことを忘れてる人がほとんどじゃないでしょうか(笑)。なかなか記事にしなくて申し訳ございませんでした。

さて、今回は軍艦島と海の関係にスポットを当てていこうと思います。
3981.jpg
上の写真は、軍艦島から見た長崎です。
この軍艦島は、長崎港から約17キロ離れています。
ご存知の通り軍艦島は360度海に囲まれた場所であり、常に海に悩まされてきました。
その原因の一つが台風です。
3984
海から突き出しているコンクリートの柱は、船が停泊していたドルフィン桟橋跡で、陸と軍艦島を結ぶ唯一のルートで、この島にとっての生命線とも言えます。
人を運ぶ旅客船は1日3往復、当時片道5円で1日1200人もの人を運んでいました。
しかし、このドルフィン桟橋は台風により、何度も破壊されそのたびに修復する羽目になります。
この橋だけでなく、台風の影響で軍艦島の岸壁でさえ破壊され、何度も大きな被害が出ていたそうです。
ちなみに、台風接近時と満潮時が重なり、台風による波高は12,3メートルにも達したと言われています。
3982
このドルフィン桟橋、現在では部分的に再び修復され、この軍艦島ツアーでも使用されております。
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軍艦島の大人たちにとっては悩みの種でもあった海ですが、子供たちにとっては、数少ないかけがえのない遊び場の一つでした。
3986
これは、軍艦島にある子供用のプール跡です。
周りの海は、波が強く危険なためこのようにプールが設けられていました。
周りは海に囲まれているのに、泳げる場所はここだけ。何とも皮肉な話です・・・。
しかし、泳ぎに自信のある子供たちは、軍艦島から海に飛び込んで遊んでいたようです。
3987
海で遊んでいた話は何度か聞いていたんですが、何処で飛び込んで遊んでいたのか気になって調べてみました(笑)
調べてみると、昭和49年の長崎放送で「ともだちのうた~軍艦島閉山~」という特別番組があり、その中で海に飛び込んで遊んでいる姿を見つけました。
それが写真のちょうど真ん中あたりの岸壁です。
3988
拡大してみると、ここですね。
ここで、当時の子供たちは海に飛び込んで遊んでいたようです。
その当時の映像を見ていると、この写真のように海が穏やかではなく、めっちゃ荒れてるのに飛び込んで遊んでるんですよ(笑)今じゃ絶対ありえない光景でした。昔の子供はたくましいですね・・・。

おまけ
20120812a.jpg
この画像が子供たちが海に飛び込んで遊んでいる様子。
海が凄く荒れてるのが分かります。
自分が撮った写真の場所と、恐らく同じだと思うのですがどうでしょうか。

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2012/08/13(月) 00:00:32|
  2. 軍艦島(長崎)
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「軍艦島 ~未来を夢見た島~」 その3

 こんにちは!
今回は久々に軍艦島シリーズになります。
前回からちょっと間が空いてしまったので、今回は写真多めに紹介していこうと思います。
今回紹介するのは、軍艦島にある端島小中学校と鉱員社宅「65号棟」です。
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向かって正面が端島小中学校、その左が鉱員社宅です。
ちなみに、小中学校の建物の下にある赤い鉄筋の骨組みは体育館跡だそうです。
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端島小中学校は、1958年(昭和33年)に建てられた7階建ての建物で、1階から4階までが小学校、5階から7階が中学校、6回には講堂・図書館・音楽室、7階には理科室などの特別教室があったそうです。
そしてこの小中学校では、当時日本では初めてとなるエレベーターが給食を運ぶ設備として設置されていました。
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そして、鉱員社宅の方「65号棟」は9階建てで屋上が保育園となっており、ここからは見えませんがコの字型の建物で中央が児童公園になっていました。この島では一番大きな建物として知られています。
それと、この65棟には建物と建物をつなぐ空中廊下があり、65号棟の左側に見えるコンクリートの橋がそうです。
IMG_0449.jpg
この保育所だった屋上には滑り台があり、あまり知られてはいませんが、現在でもその姿を確認することが出来ます。
錆びて朽ち果てることもなく、台風にも飛ばされず、そのまま残っているというのが凄いですね。
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面白いのは当時、コの字型のため各住居が丸見えだったそうですが、区切りのカーテンをすることもなく、プライバシーなども気にする人も少なく、ありのままの状態だったそうです。
今では考えられないことかもしれませんが、当時同じ島に住む人たち同士の「大きな家族」的な感覚だったようです。
なので、休みの日なんかの子供たちは、隣の住人のお兄さんに映画館に連れてもらったりしてたそうです。
そういえば、昔自分の身近な所でもそういうお兄さんはいましたが、最近では子供と遊んでくれる近所の人って少なくなりましたよね。 
3833
ある軍艦島関連の著書で、ここの学校の先生についてこう書かれていました。
「この島の先生は、叱る時は徹底的に叱り、褒める時は本当にわが身のように喜んでくれた。先生に叱られても親は先生を責めるわけではなく、間違った本人たちをたしなめた。(中略)就職や進学の相談は、まず先生とじっくり話をして最後に親とするのである。それほどに先生への信頼が厚かった。」

上に書かれていることは、先生としてはごくごく当たり前のことですが、この当たり前のことが出来ていないのが今の日本の先生ですよね。もちろん、現在でも立派な先生はいると思いますが、色々な先生の不祥事が目立ちすぎて、どうしても粗ばかりが目立ってしまいます。

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この島の生活を色々調べていて、「当時、この島にあって今の日本人が失ってしまったもの」というものがあるように感じるのは、決して気のせいではないと思います。

 

テーマ:廃墟写真 - ジャンル:写真

  1. 2012/05/28(月) 00:00:45|
  2. 軍艦島(長崎)
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・京都市内に生息中
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